想像力を鍛えて、創造の火を燃やし続けるには?

 

■想像力は誰に出もある素質

想像力には、何か具体的なモノをイメージしたり、過去に見たものを想起したり、相手の立場に立って考えるということなどがあります。 自分は想像力がどこまであるかなぁ?と考えると、意外と弱点ばかりみえてしまうものです。絵が下手だしなぁ、とか。文章書くの苦手だしなぁ、とか。でも、想像するという行為は誰もが持っているイメージなんだろうと思います。ケンタッキーのポテトと、マクドナルドのポテトと、ミニストップのポテトの違いや味を瞬時に分かるとか、人の顔を瞬時に区別して名前を呼べるとか、好きな漫画の特定のシーンを頭の中で思い浮かべられるとか。誰しも得意不得意はあっても、想像力というのは、偏りはあれど、持っているモノなんだと考えています。 

 

■想像性を羽ばたかせるエンジン 

その生まれ持っている想像力にブレーキをかけてしまうことで、創造性を発揮できていないという人が多いだけではないでしょうか。想像力は誰もが持っていて、その想像性を羽ばたかせる方法を知らないだけであって、誰かのファシリテーションがあったり、そっと手を差し伸べてくれる人がいたり、導いてくれる人が少しいるだけで、人は変われるんじゃないかなぁと僕は考えています。トリガーとなるような、きっかけとなるような、触媒的なエネルギー端末やエンジンがあれば、一気に爆発出来る。それがなんなのかは、いろいろ試してみないとわかりませんが、悪あがきすることでいろいろ見えてくるような気がしています。 

 

 

■ぐるぐる飛び回ってみよう 

頭の中でいろんな翼で飛んでみる。螺旋を描くようにぐるぐる飛んでいると、いつの間にか雲の上まで飛んでいて、景色が変わっている。俯瞰して、自分の着地したいところが見え隠れしているような状態。五感を使ったり、絵を描いてみたり、文章にしてみたり、図を起こしてみたり、直感で考えたり、論理で考えてみたり、いろんなところをぐるぐるとスパイラルを描くように飛んでみると、ひょんなところからヒントを得たり、繋がったりするものです。なので僕は悪あがきするという言葉が結構好きなんです。最後の最後まで四苦八苦あ~でもないこ~でもない、とやっている時はあらゆる角度から見たり、飛んでみたり試行錯誤することで、物事の本質部分が浮き彫りになってきて、徐々に視界がクリアになってきます。 

 

 

■創造性を育むには、想像脳を働かせよう 

こんな体験をたくさん積んでいくと、もっといろんな発想ができたり、想像の翼を使って、創造性のあるモノ作りがしていけるんだろうなぁと漠然と考えています。創造性は想像力を下地にしてこそ、はじめて鍛えられるモノなんだろうなぁと実感しています。これは日々の訓練をコツコツとしていくことで備わってくる気がします。デザイナーであればスケッチを描くこと、企画者であれば、なんでも試していろんな体験体感を蓄積しておくこと、モデラーであれば、目にするモノをモデリングする方法をいく通りも頭の中でシミュレーションする癖をつけること、など、ちょっとした想像力の積み重ねによって、その人の創造性はどこまでも伸ばしていけるんだろうなぁと。だけど人と比較してしまうと、彼はここまでできるのに、僕なんて何にも出てこないやとなって、自分を卑下してしまうんですね。これは学校教育や受験で偏差値で平均よりも上なのか下なのかという基準で自分を評価されてきたことが、名残として社会に出た後も、残ってしまうことも原因としては考えられそうです。 

 

 

■自分の内から出てくるモノを大切にする 

あらゆる見方があって、あらゆる答えの出し方がある。あらゆる価値観や考え方があって、自分の考えていることもちっぽけかもしれないけど、自分の内から出てきたことだから、そのことを突き詰めて考えていけば、いずれは価値が出てくるものになるかもしれない。全ては原石なんだと思って、自分に正直に生きることができたら、この世の中も少しはましになるんじゃないかなぁ、なんて思ったりもします。そのためには導いてくれるような存在が必要になるのかもしれませんが。導くまで行かなくても、応援してくれたり、一緒に奮闘してくれたり、一緒になって楽しんでくれるような人がいたら、こころ強いですよね。内なる炎を燃やし続けられるようなプラットフォームがあると、子供の想像力の火を消すことなく、育んでいってあげられるんだろうなぁと思います。そんなプラットフォームを作って、子供たちの炎を消さない、燃やし続けられるような環境を構築してみたいです。